2015年 10月 01日
新高岡駅 MONONO-FU
企画展示
「工芸都市クラフトものがたり」 納富介次郎から国井喜太郎 そして工芸都市 高岡クラフトコンペへ
戦前の工芸ニュース
国井喜太郎賞のカタログ2期分
続 職人衆昔ばなし(斉藤隆介)文芸春秋 の中の国井喜太郎に関する文章
などが展示してあります。

審査員と地元企業のコラボレーションのコーナー。
こちらには松永真さんのこの子もいます。
(メタルワークス:おはよう)




企画概要は以下です。
MONONO-FU 第二回目の企画展では、高岡の工芸・デザインに大きな足跡を残して来た、国井喜太郎という人物とクラフトコンペを振り返ることで、高岡のモノづくりを掘り下げます。 富山県は国の伝統的工芸品に指定された産業が5つあります。5つの業種(高岡銅器、高岡漆器、井波彫刻、庄川挽物木地、越中和紙)はそれぞれの歴史を有しておりますが、伝統だけでなく、近年は “デザイン” というキーワードが大きく関わっています。 工芸の世界で、高岡に大きな足跡を残した人としては、納富介次郎がおります。石川、高岡、高松、有田の工芸高校を作り上げた納富介次郎は、近代美術工芸の輸出振興の大きな原動力を作った人物として広く知られています。 もう一人、高岡は全国の産業工芸のキーマンの出生地でもあります。国井喜太郎。工業デザインを学ぶ人でこの名を知らぬ人はいません。
国井喜太郎は 1883 年、高岡に生まれます。住まいは納富の近所だったと史実に残されています。その姿を見、納富が初代校長を勤めた高岡工芸高校に入学。卒業後、企業に就職をしましたが、1926 年に学校設立以来、卒業生で初めての校長になります。熱い志に燃えた国井喜太郎でしたが、1928 年に仙台の国立工芸指導所の初代所長に任命されます。高岡工芸高校の指導の志半ばであった国井は、後ろ髪を引かれつつ仙台に向かいます。工芸指導所は、今も質の高い工芸研究誌として評価されている「工芸ニュース」を発刊している機関で、国井の 16 年間の在任中、所員の中には歴史に名を残す、工業デザイナーが何人も生まれます。剣持勇、豊口克平、芳武茂介...。その中には、デザイナーではなく、評論家として、工芸の隆盛に寄与した人物もいます。その一人、内藤正光は高岡クラフトコンペの初代審査員として「、工芸都市」の中の「クラフト」の方向性を示した人物です。 高岡クラフトコンペのユニークさはその審査員の多彩さでもあります。歴代 80 人。工業デザイナー、評論家、編集者、工芸作家、プロデューサーなど。そのバラエティに富んだ審査員の目に挑戦すべく、多くの作り手が奮起して出品しました。また、工芸都市の名にふさわしく、デザイナーとのコラボレーションも多く生まれています。 今回は、クラフトコンペの審査員が地元企業で生み出した品と、地元企業・作家による作品をご覧いただくことで、高岡の工芸、クラフト、デザインの歴史を紐解きたいと思います。
by utsuwa_cafe | 2015-10-01 00:00 | 情報

